矢野アカデミー

カナダで出会った「新渡戸稲造」

エッセイ 4


☆ カナダで出会った「新渡戸稲造」
    ≪その知られざる魅力

  C    素敵な出会い と 「武士道」

稲造を乗せた船は横浜港から太平洋を渡ってサンフランシスコに到着
しました。
そしてさらに数日間も大陸横断鉄道の汽車に乗って、はるか東
のペンシルベニア州に
ようやくたどり着きました。22歳の稲造にとって、まず
はアメリカの広さにびっくりしたことで
しょう。そして希望や期待よりも不安や
寂しさのほうが大きかったのでは、と想像します。


 早速苦学を重ねながら、大学で農政学などを学びます。ある日、
キリスト教の
一派であるクエーカー教徒の集まりに、素敵な出会いが
待っていました。 のちに生涯を
共にするメアリ-・エルキントン嬢との
運命の出会いです。
             

 ちょうどそのころ、日本から
手紙が届きます。札幌農学校助教授に
任じ、3年間農政学研究のためドイツに留学
を命ず、とあり、
官費による留学です。稲造はびっくり、そして大いに喜んだことでしょう。

これは札幌農学校時代の先輩で、当時札幌農学校の教授をしていた
同じ南部藩
出身の佐藤昌介の取り計らいでした。

  今度はニューヨークから大西洋を渡ってドイツにやってきました。心残りは
メアリ-
離れ離れになってしまうことでしたが、ドイツのボン大学やベルリン
大学で、農政学や
統計学などの勉強に大いに励みます。そして彼女との
手紙のやり取りで、結婚を決意
します。E-メールや携帯電話など無い
時代の遠距離恋愛の成就。二人の愛情の
深さを感じます。もう一つ
稲造にとって、大きなことが起こりました。長兄の死です。
次兄はすでに
亡くなっており、三男の稲造が新渡戸家を継ぐことになり、18年ぶりに

太田から新渡戸稲造に戻りました。

  3年のドイツ留学を終えて、アメリカに戻り、メアリーと結婚式をあげ
ます。
稲造28歳でした。当時は国際結婚などまだまだ珍しく、また
日本のことなどほとんど
分からないメアリーの両親は最初は反対で、
結婚式にも参列しなかったようです。そして
すぐに日本に戻り、札幌農
学校の教授となり、新婚生活が始まりました。


 札幌農学校での稲造の講義は大変評判になり、教育者として多方面
に活躍するよう
になります。しかし二人にとって大変悲しいことが起こりま
した。男の子が誕生しましたが、
わずか一週間あまりで息を引きとってし
まい、二人の悲しみは想像を絶します。また
遠友夜学校の創立などにも
力を注ぎますが、疲労も重なって稲造は重い病気にかかって
しまいま
した。すべての職を辞して、群馬県の温泉などで治療することになり
その間に本を書きあげます。「農業本論」です。この本の冒頭に
「亡き母の紀念に此の
書を捧ぐ」と「紀念」という漢字を使っていることは
初回のエッセイに書きました。母の死と
子どもの死が重なったのではと思え
てなりません。


  さらなる治療のために、しばらくアメリカのカリフォルニアで過ごすことにし
ました。その
静養中に生まれたのが、あの「武士道」です。
新渡戸稲造を世界的に有名にした名著。
190038歳のときでした。
これは日本人の精神(The Soul of Japan)を妻のメアリーや
外国の人に
分かりやすく説明しようと書いたものであり、当然英語で書かれています。
1894年の日清戦争で、清国を破った日本に対する関心が高まっていた
時期でもあり、
ドイツ語やフランス語など数ヶ国語に訳され、世界的な
ベストセラーになりました。米国の
ルーズベルト大統領が大いに感銘を
受け、子供や友人たちに読ませたというエピソードも
残っています。 

 この本の最初のページに、養子として多くを学び、アメリカ留学を許して
くれた
太田時敏おじさんに対する感謝の気持ちが記されています。

   To my beloved Uncle Tokitoshi  Ota
 
     I dedicate this little book    


              

       お友達のお父さんが持っていた「武士道」   いただきました

 この「武士道」への素晴らしい評価を得て、稲造は太平洋の橋になる
大きな
一歩を踏み出した自負と喜びを感じたことでしょう。日本という
国を世界に知らしめた
特筆すべき本だと思います。でも、もし赤ちゃんの
悲劇もなく、病気にもならなかったら、
この「武士道」の出版は無かったの
では・・・と、余計なことを考えてしまいました。でも
何となく
「人間万事塞翁が馬」を感じます。


  健康もかなり回復し、3年ぶりに日本に戻ってきた稲造に突然、政府
関係の仕事が
入ります。日清戦争によって日本の植民地になった
台湾の農業開発を行なうことでした。


  そして今度は台湾に向かいます。

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